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Q29 軌道エレベーターが登場した小説を教えてください。

ネタバレにご注意ください(文中敬称略)。

A29 天に向かってどこまでも伸びていく塔、あるいは柱や幹、紐などなど、軌道エレベーター(筆者のこだわりから、筆者の原稿ではこう表記する)に重なるイメージは、神話や古代史の時代にまでさかのぼることができます。北欧神話のユグドラシルや南米のアウタナは「世界樹」「宇宙樹」などと呼ばれます。旧約聖書の「ヤコブの階段(または梯子)」は、ヤコブの夢に出てくる、天国につながる階段。完成はしませんが、『バベルの塔』も天を目指す建築物です。

天空に至り、神のお膝元へ辿り着きたい、天を統べる者の視点を得たいといった願望、あるいは世界を膝下に見下ろしたいといった支配欲、上へ上へと昇っていけば何があるのか知りたいという純粋な好奇心など、高みを目指さずにいられないというのは、多くの民族に共通する感性なのでしょう。

童話の『ジャックと豆の木』は、豆を植えたら雲の上まで育ち、主人公が昇っていく(待っているのは神ではなく巨人だけれども)。これも軌道エレベーターの原初的発想の一種でしょう。ちなみに英語でこの豆の木は「ビーンストーク(Beanstalk)」と呼ばれますが、これは後述するいくつかのSF作品において、軌道エレベーターの名称にもなっています。カンダタが地獄から脱出しようとする芥川龍之介の『蜘蛛の糸』も、軌道エレベーターの発想を歴史的にひもとくとき、言及されることの多い一作です。
まずは過去を概観しましたが、このように、軌道エレベーターのイメージは古くから存在しました。同じ高みへ昇りたいという憧れでも、自ら空を飛びたいという欲求を実現したものが飛行機やロケット、塔や柱を昇っていきたいという発想を科学的に具現化したものが、軌道エレベーターと分けられるかもしれません。

軌道エレベーター誕生の総合シミュレーション『楽園の泉』
ロケットに依存せずに、地上と宇宙を行き来する機能を備えたシステムとしての軌道エレベーターが登場するフィクションと言えば、真っ先に挙げなければいけないのは、アーサー・C・クラークの『楽園の泉』をおいてほかにありません。これを読まずに軌道エレベーターについて語るなかれ、と断言できる必読の名著です。

ジブラルタル海峡横断橋をはじめとする巨大建築物を実現させてきた主人公ヴァニヴァー・モーガンは、その実績と残りの人生を懸けて、軌道エレベーター(作中では「宇宙エレベーター」)の実現に挑みます。本作は軌道エレベーターの科学技術的な基礎知識や意義、発展性をわかりやすく解説しているにとどまらず、政治経済的、社会学的な課題にも考察が行き届いており、軌道エレベーターが実現しようとするとき、人類社会がどう反応するのかを物語の形で巧みにシミュレートしています。軌道エレベーターの実現をテーマとし、なおかつ織り込むべき要素の必要十分条件を満たした作品で、いまだにこれを超えるものは出ていません。

そして何よりも人間ドラマが実に真摯で秀逸です。晩年を軌道エレベーターの実現に捧げるモーガンの情熱と野心、努力を軸に、古代の神話的エピソードを交錯させながら、人類がかつてみたことのない建造物を実現させていく様を描きます。とりわけ、エレベーターの地上基部の建設予定地が宗教団体の聖地になっており、モーガンは立ち退き訴訟で敗訴するのですが、意外で美しい展開によって解決に向かう展開には、誰もが膝を打つことでしょう。
『楽園の泉』は、それまで学術分野の世界に限定されていた軌道エレベーターのアイデアを、一般の人々の間に広めることに多大な貢献を果たしました。軌道エレベーター文化の開祖のような一作であると同時に、あらゆるSF作品の中でもオールタイムベストと言える不朽の名作です。

機を同じくして”軌道エレベーターもの”を書いたシェフィールド
映画『紳士同盟』(1960年)と『オーシャンと11人の仲間』(同)は、同じ年、離れた場所で、類似した設定の作品が制作された例として有名です。こうした現象には時代背景が影響しているのでしょうが、軌道エレベーター研究においても、ユーリ・アルツターノフやジョン・アイザックスらが1960年代に、これもやはり深い相互影響は考えにくい離れた場所で(特に当時は東西冷戦のまっただ中だし)、それぞれ軌道エレベーターの発想を独自に打ち出しました。

そしてSF小説は、現実の研究・発展を映す鏡でもある以上、同じ発想の作品が時期を同じくして登場することがあっても不思議はないのかもしれません。『楽園の泉』と同時期に、チャールズ・シェフィールドの『星ぼしに架ける橋』が発表されたのもその一つの例でしょう。
『星ぼしに架ける橋』では軌道エレベーター「ビーンストーク」を宇宙空間で建造し、地上に落下させて突き刺すように固定するという、『楽園の泉』とはまったく異なるプロセスで実現させます。『楽園の泉』著者のクラークは本作に掲載されている「公開状」で、この方法を「身の毛がよだつものであり、わたしには成功するとは信じられない」と述べています。ストーリーはサスペンス色が強く、クライマックスの展開はビーンストークに直接関係しません。本書は現在では絶版状態で入手困難ですが、軌道エレベーターがSFに取り込まれた草分け期に、複数の作家が時を同じくしてこのアイデアに着目したことは銘記しておくべきでしょう。

クラークより前に軌道エレベーターを小説で書いた日本人
しかし、『楽園の泉』『星ぼしに架ける橋』からさかのぼること10年以上、1965年に日本の作家が、科学的に正しく考察された軌道エレベーターを小説に登場させていたことは、ご存じでしょうか。

小松左京は『果しなき流れの果に』の作中で、わずかなページ数ではありますが、軌道エレベーターを描述しています。本作では昇降機の上昇をロケットブースターで補助するものが登場しますが、セリフでは完全な電動上昇式のエレベーターにも言及しています。カウンターマス(カウンター質量とも。全体のバランスをとるためのおもり)への言及は欠けているものの、赤道付近に地上基部が設けられていることや、静止衛星につながっていることなど、おそらくこれが世界で初めて、おおむね適切に考察された軌道エレベーターの姿を描いた小説だと思われます。小松左京はこのほかにも、同じ年に新聞掲載された『通天閣発掘』という短編で「宇宙橋(スペース・ブリッジ)」の説明を書いています。

その後の主な作品群
SFにおける軌道エレベーターは、空想上の世界で多様な発展を見せていきました。ここから先は、特徴のある扱い方をした作品を紹介していきましょう。
キム・スタンリー・ロビンソン作『レッド・マーズ』は、火星移住をテーマにした長編3部作の1作目ですが、『楽園の泉』と同じように、火星に「宇宙エレヴェーター」が建造されます。小惑星を捕獲してカウンターマスに用いたエレベーターシステムであり、最後には倒壊するシーンが描かれます。この場面では、軌道上に重心が存在する巨大構造物が破壊されたらどうなるかということを適切に考慮した、リアルな描写がなされています。 21世紀になってから登場したフランツ・シェッツィングの『LIMIT』は、月面のヘリウム3(ヘリウムの同位体。次世代エネルギー源である核融合の燃料として有望視されている)に着目し、近年の科学的知見を取り入れた1作です。
このほか、軌道エレベーターは大きく発展する余地を持っているのは言うまでもありません。クラークは『楽園の泉』で軌道エレベーターの誕生を描きましたが、大規模に発展した、遠い未来の姿も描いています。映画が有名な『2001年宇宙の旅』に始まる「スペース・オデッセイ」シリーズの続編(厳密には同じ設定を用いた異なるストーリーラインの世界)『3001年 終局への旅』では、4基のエレベーターをオービタルリング(軌道上を取り巻くリング状の構造物。軌道エレベーター同士をつないで安定させるのにも使われる)で結び、このリングが巨大なコロニーになっています。ここに住む人々が低重力に慣れてしまうため、地上には戻れないという未来世界の考察も加えられています。
クラークはこのほか、スペース・オデッセイの次世代シリーズ『タイム・オデッセイ』シリーズなど、数多くの作品で軌道エレベーターを登場させており、氏の未来予測に欠かせない存在であるのがうかがえます。軌道エレベーターは必ずできるという、執念のようなものさえ感じます。

創意に富む日本人作家
小松左京以降の日本人作家に目を向けると、軌道エレベーターというSFガジェット(小道具)は受け入れられやすいのか、実に多彩な「応用編」的作品が書かれています。
田中芳樹の『銀環計画(プロジェクト・シルバーリング)』では、「衛星軌道エレベーター」で海水を宇宙に放出して氷の環をつくり、温暖化による海面上昇を防ぐという異色作。ただし科学的にはありえないでしょう。

小林泰三の『天体の回転について』では、表題作で軌道エレベーターの存在も原理もまったく知らない者の視点で”乗り心地”が詳細に記されています。興味深いのは、エレベーターが上昇すると、「下に降りていくような感触」を覚えるという描写。なぜそう書かれているのかは、本作を読んで理解してください。さらに、地上から宇宙へ行くのにとどまらず、様々な目的のエレベーターが登場し、順番に使うことで、いかにエネルギーを消費せずに、地球を離れて遠くへ移動していけるのかがわかる作品です。
異色というか異端とも言えるのが『十五年の孤独』。静止軌道まで人力で登攀するという大胆なアイデアのストーリーですが、描かれ方に科学的・致命的破綻はなく、短編ながら密度の濃い一作です。

小川一水の『妙なる技の乙女たち』は、軌道エレベーターが日常化した社会で活躍する女性たちを描いたオムニバス作品。軌道エレベーターにまったく関係ないエピソードもありますが、女性のアイデアで宇宙時代が拓けていく様子は興味深いです。
さらに、びっくりする奇想天外な経緯で軌道エレベーターが実現してしまうのが野尻抱介作『南極点のピアピア動画』。誰も造るつもりなどないのに、宇宙で実験をしていたら、結果的に軌道エレベーターができてしまったという展開です。しかも造ったのは人間ではなく新種のクモ。
このように、日本人は軌道エレベーターという道具への親和性も応用力も高く、多くの作家が様々なアイデアで活用して、多彩な描き方をしています。創意に富むという点では、海外よりも日本人作家の方が優れているのではないかと思えます。

近年、軌道エレベーターのSF小説への登場はより身近になってきたというか、むしろ、人類が宇宙へ進出する世界を描くなら、軌道エレベーターを導入するのは当たり前にもなってきた、とさえ言っていいでしょう。 重力を制御したり、時空をねじ曲げたりといった超越的な方法をでっち上げるならともかく、既存の物理学で説明可能な設定で、移民レベルの人数を宇宙へ運ぶという世界観を構築できるツールは、軌道エレベーターをおいてほかにはない。それは多くの作家がすでに理解していることなのかもしれません。

今後、さらにユニークな発想で描いた多彩な作品が登場することに期待したいところです。(軌道エレベーター派[ペンネーム])

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